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美術の窓 2008年6月号 “視点”より「日本には 本当に アートが 必要なのだろうか??」

                                                              長谷川 ゆか

  私は ニューヨークでアートとファッションをテーマにして制作をしてるのだが、日本の美術大学をでていないので、アート系の友人は日本では少ない。
よって 個展には私の友達、つまりアート系というより彼らは純粋に楽しくて美しいものが好きな人たちが来る。といってもその人たちが連れてくる人の中には 
さらにアートに縁のない人たちもいて「これって売っているの?」という質問が何度かあり、「うーん?」と考えさされた。私たちアーチストは 作品を売って
生活しているのであるが、飾ってみせて発表してるだけという発想もあるのか・・とにかく日本では 一般の人には発表会と展覧会の区別もわからなくて 
アマチュアもプロもごっちゃになっているのでわかりつらいのだろう。

 日本では 絵を買うということが特別なことであり、それを飾る場所にも限界があるので 画廊というのは一般の人たちには、かなりかけはなれた
特別な場所である。普段の生活でたまたま通りがかって好きな絵に出会う。なんてことはあまりないだろうし、なんだか敷居が高くて入り辛い。
 私は京都で育ってニューヨークに渡ったので、生活の近くに画廊がある点では同じなのだが、大きな違いはニューヨークの画廊の数といったら
大変なもので また、貸しの画廊はほとんどなくてそれぞれ作風にこだわりをもって少数の作家を抱えて もちろんそれに見合う顧客をかかえて経営されている。
たしかにアメリカの住宅事情は、とんでもないサイズのリビングルームや 4つや5つもあるベッドルーム。郊外にいけば プールやテニスコートが家の庭に
あったりするのが そんなにもめずらしくないので もちろん飾る場所もたっぷりとあり、 よって絵の需要もあるのである。

 昨今では 日本の画廊も海外のアートフェアに出展したり、東京アートフェアが開催されたり、日本人のアーチストも世界での活躍のチャンスが増えてきたが、
まだまだ日本の画廊が世界に作家を発信するというより、作家が自ら海外にでて世界の水準で評価されるというケースのほうが多い。
海外の場合目の利く画廊やキューレーターが存在し 初めは無名でもリスクを負いながらも バックアップしていくパワーとお金があるのだと思う。 

 また日本の画廊は世界に出て行くケースがなんとも単独的で、もう少しチームワークというもの あるいは国の援助などが必要なのではないだろうか?
 アメリカでは「私はアーチストです」というと尊敬のまなざしで見られるのだが、日本の場合は大学の教授という肩書きでもない限り、アーチストなんて世には
理解しがたい、いったい何で食っているんだというような肩身の狭い立場になることが多い。アメリカでは教えるという立場にいる事は、プロのアーチストとは
認められがたい。たしかにプロで制作だけで生活していける人は少ないのだが、それなりにスカラーシップやグラント(審査によって優秀な作家に送られる補助金)と
いったシステムがあり、才能があれば日本に比べれば評価されるチャンスは多いといえるだろう。

 銀座の大通りでは、高級ブランド店は中国人でにぎわい、かたやドーナッツがブームのようで1時間も2時間も行列している様子を横目に、私はひっそりとした
銀座の画廊で「日本には 本当にアートが必要なのだろうか?」とふと考えさせられるものがあった。 

 日本では 美術品を買う人は イコールお金持ちと思われがちだが、ルイビトンやシャネルを買うお金はあっても、自分の「好き」という価値観を探し、本当に好きなものを求めるというアートのマーケットでの買い物は まだまだ遠くて大きな冒険なのかもしれない。