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コピーが嫌い 一生自分探しの旅

画家としてのキャリヤがあり、またファッションデザイナーとして注目をあつめる長谷川さんに、
自分の職業はどちらかときいてみた。

「どちらとも思っていないですね。何かになろうと思っても、自分を表現していった先にその作品が
どのカテゴリーに属するか、ということだけだとおもいます。何ものになろうとか、
自分でありつずけるということが私にとっては大切なことです。何になりたいか、ではなく、どう生きたいか。
常に自分はどうありたいか、何をしたいかを、自分自身に問い続けられるエネルギーをいつまでももっていたいと思います。私はコピーが嫌いです。
あえて言えば人と違うことが好き・・・コピーに頼らない、
しっかりと自分をもった生き方が魅了的だと思います。そのためにも自分を自由な位置において、決めつけられたり、
とらえたりしない、個であるということが大切だと思います。一生をかけて自分というものを探し続けていきたい、
そう思っています」

これまでの彼女の道のりを聞いていると、何気ないきっかけからどんどん道が開かれていったように感じられる。
彼女はなぜそのチャンスを見逃さなかったのか。なぜ彼女にばかりチャンスが巡ってくるのだろうか。

「チャンスを意識したことはないんです。だから不安に感じることもないですね。
まさか絵描きになるとは思ってもいませんでしたし、今でも絵を描くのが好きというだけ。
とにかく何か人に言われてやらされて働くという性分ではありませんので、嫌なことは絶対にしないですし、
やりたいことに関しては妥協せずとことん追求する。とってもシンプルなのです。でもね。美しい!楽しい!美味しい!
これが含まれていないとやる気が起きないかも。(笑)」

京都という古い都で生まれ育った彼女にとってNYとはどんな街に写っているのだろうか。

「はっきり物事を表現する、ストレートに生きるというのがNY風でしょうね。
だから勝手な人が多すぎて頭にくることもあります。(笑)でも一方では、日本は人のことを気にしすぎて
自分を持たない人が多いのかも。何か起きても向かい合って闘おうとしないし、いつもうやむやだから無責任ともとれます。アメリカのよいところは、よいものをフェアに評価するところじゃないでしょうか。
正直に自分の判断でよいと思えば褒めます。何処何処の誰かではなく、今何ができるの?ってきかれて、
はいこれですって差し出したもので判断される。過去の経験やしきたり、それよりも今(NOW)が大事なのです。
それが新しいものを生み出すこのNYのパワーでしょうね。だから、自分が自分でいられる場所だと思います。
それだけ自分を素直にだせるのでしょうね。」

恵まれた環境の中から培われた優しさ、素直さを感じさせながら、キャリヤと共に身につけてきた自身を
適切に表現できる女性という印象がある。何歳になっても他人と自分を比較してしまう癖の抜けない日本人。
人の評価を気にするのは自分がなにをしたいか、何ができて何ができなにおかが見えていない現われなのかも知れない。

例えば人に褒められた時、欧米人は素直に「サンキュー」と答える。しかし日本では「いえいえ、とてもとても」とへりくだる。それも一つの文化であるかも知れないが、自身をもってプレゼンテーションしたことが評価されたと時は、
素直に喜びを表現するのも大人の在り方なのかも知れない。

人生はフロー 常にDO MY BEST

2002年5月。思いがけなくスタートした学生生活をラジオシテイーホールでの卒業式で終えた彼女は、現在、
映画「華麗なるギャ
ツビー」の帽子デザイナーのもとでミュージカルのデザインの仕事に取りかかっている。
「思いがけないお誘いだったのですが、MOVIEやSTAGEの仕事がしたいので
これはとってもいいスタートだと思っています」。

また、「自然の素材をTEXTILEにしている作家の方の服をデザインしています。
手間暇かけて作った素材のよさに惚れ込んでしまいました。これからはいいものを自分の判断で
個性に合わせて選んで着ていく時代になるのではないかと思うんです」

「何かになろうと思って生きてきていない自分にとってこれからも自分の将来は未知でいっぱいです。
私にとって人生はフローです。人と競争するのではなく自然にまかせていきたいですね。
ファッションは新しいジャンルのアートであり文化だと思います。アートとファッションを分けて考えるのではなく、
どちらも同じ表現方法として続けていきたいと思っています。常に美しいものを目指してDO MY BEST。
お金は元気に生きていけるだけあればいいと思っています。それよりもいろいろねところで、
表現をとおして出会った人達、お世話になった方々、こちらの人達が私の財産です」

大胆なようで繊細。自身を適切に表現し、感謝の気持ちも忘れない。
何より自分の個性、自分の求める生き方、自分の姿にピタッと焦点があっていると感じさせる長谷川さんが
創るこれからの世界にエールを送りたい。彼女の作品に触れたい人はホームページで。

一生追いかけたいアート追い求めて世界へ

大学は同志社の英文学科。 その後サントリーに勤めワインアドバイザーとして働くが、
何か一生続けていけることがしたいと思っていた。そんな折、たまたま旅行で出掛けたニューヨークでのこと。
友達と待ち合わせをしていたときに目に留まったのがアートスクールのビルだった。

「ついフラフラっとはいっていったのですね。それでそこで一目みた絵にとてもとても感動して、
一生追いかけるのはこれだって思って留学を決めました」

一生続けられうものではないと思った仕事、一生追いかけられるとおもったアート、
そこに彼女の彼女たる所以をかいま見た気がした。 人生の組み立て方が、
どこか大らかで生活感にとらわれすぎない印象を受ける。

「いいえ、いい加減なだけです。でも思い立てば行動だけは人一倍早いです。 (笑)」

ニューヨークスクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業後は、ロータリー財団からの奨学金で
オーストラリヤのインターナショナルアカデミーに留学、また国際芸術サマー・アカデミーの奨学金で
オーストラリヤにも留学し、ヤン・フォス師に師事した。その間にも日本国内各地、ニューヨーク、ドイツ、
オーストラリヤなどで個展を多数開く。

「私の描くものとはまったくの自己流です。自分が描きたいものを描きたいように描いています。
いろいろなところで評価を受け賞をいただけたりすると、周囲はすごいねっていうのですが、
私自身は何がすごいのかよくわからないですね。私の好きな絵が私のまわりにない。だから私の好きな絵を描いてきた、
という感じなのです」

FITと出会い大学生活のスタート

そんな彼女が今年中国コレクションにアメリカ代表のデザイナーとして作品を出展した。
画家の彼女が、なぜいきなりファッションデザイナーに転身したのか、そのいきさつを聞いてみた。

「ニューヨークの街を歩いているときに、FITの看板にたまたま目が留まったんです。
FITといえばファッションの学校とはしっていましたが詳しくは全然知りませんでした。
興味半分で中に入っていって、私にも縫うことをおしえてくれますか?ときいたのがきっかけだったんです」

FASHION INSTITUTE OF TECHNOLOGY−通称FITといえば、カルバンクラインやジョーンバートレット、
ノーマカマリ、を輩出した、ニューヨークで最も著名なファッションデザインの大学である。
仮に日本人がFITへの入学を希望する場合、
TOEFL550点を有しさらにデザインの試験に合格しなければならないという。それも1〜2年待ちで。

「そのとき私が着ていた服はたまたま自分でデザインしたものだったんです。
それを見た先生がとても気に入ってくださって、その場でデザイン画を描いてみてごらんといわれたのです」

本格的なデザイン画など描いたことはなかったが、そこは絵描きである。
それ見るなり「昼がいいの?それとも夜?」と聞かれ、昼がいいと答えるとすぐにも教室へ連れて行かれる。

「まさかそれでFITの入学が決まるなんて思ってもみなかったですね。
あまりにも簡単に教室に入れられたので洋裁学校程度の認識で、これがフルタイムの大学生活の始まりで、
しかも大変厳しいアドバンスのクラスにいれらているのを知ったのは少し後になってかでした。

中国コレクションにアメリカ代表で出場

しかしファッションデザインの世界は長谷川さんを夢中にさせてしまう。

「しらない分野なので、やってみたい、知りたいことが山ほどありました。
授業は自分の専門教科以外にも自由に取れるので、レザーのクラスやアクセサリー、帽子のクラスも取りました。
興味も表現の可能性もどんどん広がります。寝る時間がなくても知識や可能性が広がることがワクワクするほど楽しい。
幸いにもいろいろなコンペで賞も頂きましたし、成績もよかったのでSCHOLARSHIPをもらい授業料も助かりました。
こういった点で、アメリカは人種に関係なく、頑張っていると評価しチャンスを平等に与えてくれる国だと思います」

そのFITのファッションデザイン学部には2000人以上の生徒がいる。
ある日学長に「あなたがコンペに推薦されていますが、やる気と自身はありますか?」といきなりたずねられたのが、
中国コレクションだった。テーマを渡されすぐにデッサンに着手。審査をと通ってアメリカ代表に選ばれる。

その時に同行したアシスタントが、長谷川さんの魅了について語ってくれた。

「彼女は人に対して、ああして、こうして、と押しつけたりしない人ですが、自然に人をうごかす力があるのを
このコンペでも感じました。彼女のひたむきさに触れるたび、この人のためならやってあげようという気持ちになりますし、
それ以上に
LET(さあ一緒にやろうよ!)という人なのでそばにいると、
私自身も楽しみたいといった気持ちにさせてくれるのです。一度何かをすると決めたらとことんあきらめないで、
アイデアと努力をおしみなく使い果たして表現させてしまおうってゆうのが、彼女の生きるポリシーなんだと思います。
極端に言えば、明日のことはわからない、ならば今日、今持ってるエネルギーを使い果たして、
やりたいことはやっておこう、というような、本当に自分に気持ちと一瞬をすごく大事にしてるんだなあと感じました」

NY のデザイン名門学校FITの学生としてNYタイムの表紙を飾った長谷川ゆかさん

セレブ・フロム・ニューヨーク

人生はフロー。アートとファッションとときめきと・・・。

ニューヨークマンハッタン。タイムズスクエア近く、ミュージカル劇場に囲まれたアパートメント。
「世界一騒がしいところ」で暮らす長谷川ゆかさんは、今ニューヨークで最も注目される日本人女性の一人だ。
2002年2月17日。NYタイムススクエアに才能あふれる画家として表紙を飾った長谷川ゆかさんは、
間もなく開催された中国コレクションでファッションデザイナーとしてもセンセーショナルなデビューを果たした。
彼女の生き方。彼女の歩く道のりには、時として
人生の設計に戸惑い手をこまねく私たちに一体何を見せてくれるだろうか・・・・・・。

京都東山の旧家でうまれ絵を描くのが大好き

「生まれは京都の東山のふもとの旧家です。昔から大阪は食い倒れ、京都は着倒れといわれんですね。
私も小さい頃から着飾るのが大好きでした。」

もともとは画家である。子供の頃から学校で描いた絵は必ずと言ってよいほど何かの賞をとっていた。
もちろん上手に描こう、賞をとろう、などとは毛頭ない。「ただ自然に描きたいものを描いていただけ。」
だから大人になっても、自分の絵が多くの人に評価されメデイアに取り上げられたところで
「私自身は自分が画家であるという意識はあまりないですね」と笑う。