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picky's 

ひらめきのままに自分の道をすすむ・・・

はじめての海外に出かけたのは 18歳のとき ミス着物の京都代表に選ばれ手に入れたパリ旅行。

「パリにはあらゆるところに美があるんです。歴史が生活の中に息づいてるのにカルチャーショックをうけました。」その後は頻繁にヨーロッパをに訪れ、いつかは海外に住んでみたいと思うようになったという学生時代。卒業後はひとまず、サントリーのワイン事業部に就職。今では花形職業のひとつであるワインアドバイザーとして働いていたというユカさんは、当時はただ漠然と留学資金を貯めるために勤めていたという。「それまでは、ヨーロッパにばかり行っていたのですが、たまたま父親の仕事に同行してニューヨークに来たんです。友達を待っていて、その隣のビルに なんだか面白さそうな人が入っていくなーと思ってついて入っていったのがスクール・オブ・ビジュアルアーツというアートスクールだったのです。そのとき目にした絵を描いてる人やその作品光景に強い衝撃を受けて、ああ、私が求めていたモノはこれなんだって、ただちに 仕事をやめてその学校に留学を決めました。」

 アートスクール卒業後はニューヨークに残らずひとまず帰国はしたものの、ロータリー財団からの奨学金を得てオーストラリアでアボリジニアートを勉強する。

 帰国後ニューヨークで知りあった 今のご主人と結婚。「結婚するときに、指輪はいらない。自由と理解をちょうだいと言って結婚しました。」というとおり、その後さらに自由にのびのびとやりたいことをつきつめて、グラフィックの巨匠ヤン・フォス氏に師事しオーストリアにも留学した。日本に帰国後は東京、京都を中心に日本国内各地、ニューヨーク、ドイツ、オーストリアなどで個展をしアーティストの地位を着々と確立していった。

感性を通して つながっていくことの喜び

1997年、ご主人の転勤を機に日本とニューヨークを往復する生活がはじまる。洋裁の得意だったお母様の影響もあり、もともと自分の着たい服は自分で作ってしまうことが多かったというユカさん。「私の中では作るということのエネルギーに違いはない、服も絵の一部、ただ形が立体になっているだけ。」洋裁の基礎知識がなかったにもかかわらず、そのとき着ていた服がFIT(ファッション工科大学)の教授の目にとまり入学、首席で卒業した。「ニューヨークの人たちはイイモノを見つけたら何が何でも言わずにはいられないでしょ、そのリアクションが面白い。絵であれ、ファッションであれ、自分のさがしているものを見つけだしたときの感動や衝撃を感性でコネクトしている感じです。」そういって目を輝かせているユカさんご自身がかぶっていた帽子がバーニーズのバイヤーの目にもとまり、今、バーニーズでも展開されている。それらの作品はWWD(ウーマンズウィークデイリー誌)の選ぶ2004年のトレンド600にも選ばれた。

言葉にはできない感動を追及しつづけたい

絵を描いたり、帽子を作ったり、大忙しのユカさんだが、そのエネルギーはいったいどうやって補っているのだろうと尋ねてみた。「エネルギーの補給はいらないの、作ることには 悩みがない。作ることは 呼吸と一緒。絵を描くことも服を作ることも すべての創作活動は自分がいちばん自然でいることが大切で、素材があれば ひらめきは あふれてくるの。」エネルギーを補うどころか、あふれ出るのを抑えきれない感じすらする。「毎日おこるいろんなことのリアクションが私のエネルギー源。」そうやって、生活すべてにインスパイアされて作品ができあがっていくそうだ。

そして、感性から感性へ引き継がれていく・・・

「ゴールがあるとするならばブレイステイクするような感動を与える美を追求していきたい。」そういうユカさんのこれからの展開は、バッグのデザインやTシャツのデザインなどのオファーもあるという。2005年にむけても、立ち止まることなく私たちの感性に感性で呼びかけてくれることだろう。

この夏を過ごしたハンプトンのあふれる自然に感銘を受けた作品の個展が東京高島屋と NYでは このたびはじめてOPENするGALLERY NEW YORK NUMBEROPEN記念として開催されます。ぜひこの機会に ごらんください。

113日〜9

日本橋高島屋(東京)美術画廊 

81-3-3211-4111

1119日〜123

GALLERY NEW YORK NUMBER

212-997-4052